「親の責任範囲」
人は生まれ持っての性格がある。以前にも書いたが、
私の経験から、性格というものは生涯あまり変わらないものであると思っている。
成長し角が取れ、とげとげしい部分が丸くなる事はよくある。
「三つ子の魂百まで」と言われる様に、3歳頃に芽生えた性格は、
余程のショックや思い改めが無い限り、根本的な思考回路はあまり変わらない。
子育てに正解は無い。親も完全な人間ではないし、
子育てを通して一緒に成長し、親にしてもらうのだと思っている。
成人して社会に出る。やがて家庭を持つ。親はその頃「子育てが終わった」と感じる。
しかし、親子の縁はそこから先も切れてはいない。
それは、いずれ親が老いたときに来る。
人の命の期限は読めない。
子供の厄介にはならないと思っていても、巡り巡って末っ子の厄介になる事もある。
みの氏の謝罪会見を見て、親としての稚拙さに驚いた。
メディアの仕事を選んだ以上、それなりのリスクは付いてくる。
一般人とは違う生活を選んだ事になるからだ。世間が騒ぐのも有名税である。
「厳しく育てた」と言いつつ、「子育ては女房任せ」と言い、一人前の大人だから、切り離すと言う。
困った時も相談に乗ってない。
「多分来ないと思う」と言い放つが、「来ない」ではなく「行く」というより、駆けつけるのが親だろう。
「どうしてこうなったのか」聞いてあげられるのは親だけだ。
窃盗の理由も分かっていた。お金に困る理由も(奥さんの病気)知っていた。
でも話さないし、手を差し伸べない。助ける気もなく、見ていると言う。
一般の親は、きっと何歳であれ一緒に謝罪し、その子供のこれからを真剣に考えると思う。
普段あまり行き来がなくても、手を差し伸べると思う。
人気司会者であるが、冷たい人間性にガッカリした。
子供は親を選べない。親もその親を選ぶ事は出来なかった。
ずっと同じであるなら、縁あって巡りあったのだから、思いやりはずっと持ち続けたい。
90歳の母がいつも言う。「嫁に出した娘の厄介にはなりたくなかった」と。
でも私は嫌と思っていない。
出来る子供が面倒を見るのが、自然じゃないか。
2013・10・28
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