女性専用シェアハウス
運営者のブログ集
   2015年8月19日

「親の責任範囲」

人は生まれ持っての性格がある。以前にも書いたが、

私の経験から、性格というものは生涯あまり変わらないものであると思っている。

成長し角が取れ、とげとげしい部分が丸くなる事はよくある。

「三つ子の魂百まで」と言われる様に、3歳頃に芽生えた性格は、

余程のショックや思い改めが無い限り、根本的な思考回路はあまり変わらない。

子育てに正解は無い。親も完全な人間ではないし、

子育てを通して一緒に成長し、親にしてもらうのだと思っている。

成人して社会に出る。やがて家庭を持つ。親はその頃「子育てが終わった」と感じる。

しかし、親子の縁はそこから先も切れてはいない。

それは、いずれ親が老いたときに来る。

人の命の期限は読めない。

子供の厄介にはならないと思っていても、巡り巡って末っ子の厄介になる事もある。

みの氏の謝罪会見を見て、親としての稚拙さに驚いた。

メディアの仕事を選んだ以上、それなりのリスクは付いてくる。

一般人とは違う生活を選んだ事になるからだ。世間が騒ぐのも有名税である。

「厳しく育てた」と言いつつ、「子育ては女房任せ」と言い、一人前の大人だから、切り離すと言う。

困った時も相談に乗ってない。

「多分来ないと思う」と言い放つが、「来ない」ではなく「行く」というより、駆けつけるのが親だろう。

「どうしてこうなったのか」聞いてあげられるのは親だけだ。

窃盗の理由も分かっていた。お金に困る理由も(奥さんの病気)知っていた。

でも話さないし、手を差し伸べない。助ける気もなく、見ていると言う。

一般の親は、きっと何歳であれ一緒に謝罪し、その子供のこれからを真剣に考えると思う。

普段あまり行き来がなくても、手を差し伸べると思う。

人気司会者であるが、冷たい人間性にガッカリした。

子供は親を選べない。親もその親を選ぶ事は出来なかった。

ずっと同じであるなら、縁あって巡りあったのだから、思いやりはずっと持ち続けたい。

90歳の母がいつも言う。「嫁に出した娘の厄介にはなりたくなかった」と。

でも私は嫌と思っていない。

出来る子供が面倒を見るのが、自然じゃないか。

2013・10・28

トップページに戻る

ブログアーカイブに戻る